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ゲー研の課題兼映像嫉妬の原稿です。

さて、俺の残したいゲームは「Tales of Vesperia」です。
「おい、この腐男子が!!w」って思った人、
ヴェスペリアの魅力はそれだけではないのですよwww

この文章はヴェスペリアにおける正義の描き方を論じてますが、
同時にこのゲームの面白い(興味深い)点であります。
是非、このゲームが後世まで残り、研究の対象となることを望んでおります。

とりあえず長いです。
頑張って読んでね☆


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あなたにとって正義とは何ですか。正義のヒーローや、弱いものを助ける正義の味方、悪に対抗する者など様々なことを思い浮かべるだろう。ただ、正義とは正しい者が悪をやっつける。警察が犯人を追いつめる、間違ったことをした者に罪を与える。そのようなことだけだろうか。その正義の定義についてプレイしている人に訴えかけ、新たな正義の描き方を提示した作品が、「Tales of Vesperia」(以下、『TOV』と略す)である。
『TOV』は2009年にバンダイナムコゲームスから発売された、「『正義』を貫き通すRPG」を呼称としたゲームであり、歴代Tales of シリーズ(注1)の中で唯一映画化される程、世界観が練られている。キャラクターの設定も緻密に作りこまれており、作品全体を通して登場キャラクターの過去や未来がストーリーと絡みあっている。『TOV』は歴代のTales ofシリーズ、ひいてはゲーム全体において特徴的な正義の描き方をしている。戦闘シーンとイベントシーンの使い分け、環境に立ち向かう中での対立、皇帝のいない国家が『TOV』の特異な描き方で、『正義』を描くのに適している環境となっている。その特異な描き方を、表現方法と物語構成、他のTales of シリーズである『Tales of Destiny2』と比較して世界観、の3点から述べていく。他のTales ofシリーズと比較するのは、設定が似通っているがまったく別の作品であること(ただし、Tale of DestinyとTales of Destiny2は関連性がある)、それぞれの作品で言いたいことは異なり、他のRPGと同様に別の方向性から検証ができるからである。


 ゲームで正義を描く方法を述べる前に、少し『TOV』の物語に触れておく。『TOV』は3部構成となっており、1部が水道魔導器(注2)の犯人追跡。2部が始祖の隷長に会い、世界の真実を知る旅。3部が世界の真実を知り、世界を救う旅である。帝都の下町に暮らすユーリ・ローウェルは、下町の水道を制御する水道魔導器が盗まれ、犯人を追うために世界を旅することになる。旅を続けるうちに、犯人がカプワ・ノール港で執政官をするラゴウだと突き止める。彼は魔導器によって天候を操り、街の人々から高い税金を徴収し、無理難題を押し付けてはカプワ・ノールに暮らす住民を苦しめていた。その現状を知ったユーリはラゴウの屋敷へ乗り込もうとするが、ユーリの幼馴染で帝国騎士団に所属しているフレン・シーフォに止められる。彼はユーリと共に下町で育ち、共に騎士団で、下町の人々が過ごしやすい街を目指して奮闘していた。しかし、騎士団の貴族が優遇される体制などに不満を募らせたユーリは騎士団を脱退して下町でなんでも屋的なことをし、フレンはその腐敗した体制を立て直そうと騎士団で功績をあげ、2人はそれぞれ違った方法で下町のために奮闘していた。2人の違いはこのカプワ・ノールでも顕著に表れている。フレンはユーリを止めるように諭し、帝国の法でなんとかしようと試みたが、時間がかかりすぎる。そこで、ユーリは自分の罪を顧みずラゴウの屋敷へ突入する。その場では逃げられたものの、2人はラゴウを追い詰めた。追い詰めた際も、屋敷と同様フレンは帝国の法でラゴウを裁こうとしたが、ラゴウは執政官と貴族という権力を盾に罪を逃れた。それを知ったユーリはラゴウのような人々を苦しめ、権力をふるうことに許せず、殺してしまう。そのことを後に悟ったフレンは、街の橋にユーリを問いただそうと呼び出す。だが、その時魔物が街を襲い橋がちょうどユーリとフレンの間で壊れてしまい、フレンはユーリから本当のことを聞けないまま別れてしまうことになる。以上が『TOV』の1部の話のあらすじである。
 

 少し『TOV』の話について述べたところで、本題である『TOV』の正義の描き方について説明していく。上記でも述べたように『TOV』には『正義』を描くための特徴が3つある。1つ目が表現方法。『TOV』は戦闘シーンとイベントシーンを適切に使い分けることによって、『正義』とは何かを考えさせる表現方法がなされている。2つ目に物語構成。ユーリとフレンという目的は同じでも異なった方法で人を助ける、環境に対する対抗の対立を描くことで『正義』とは何かを訴えかけている。3つ目に世界観。どのような世界だと正義を訴えかけやすいのか、世界のルールという根底の部分から『正義』を訴えかけやすいようになっている。以上が『TOV』に見られる『正義』を描く特徴である。

 それでは、他のゲームとは一線を画した表現方法から『正義』の訴え方について考えていく。上記『TOV』の話の中で、ユーリがラゴウを殺害したというシーンがある。このシーンで『TOV』における特徴ある表現方法が用いられている。その特徴的な表現方法が戦闘シーンとイベントシーンの使い分けである。   
 一般にゲームというのは、プレイヤーがゲーム内のキャラクターを操作し、その反応が返ってくる相互作用(interaction)が特徴である。プレイヤーはキャラクターを操作し、ゲーム内のキャラクターになりきることで没入感を増加させている。その一環として戦闘シーンがある。戦闘シーンをこなすことで、ゲーム内のキャラクターが味わう達成感や、緊張感をプレイヤーも操作することで体感できる。そのため、大多数のゲームでは、『悪を倒す』ときには戦闘シーンが入り、その後イベントシーンで結末を見るという形になっている。しかし『TOV』は『人』を倒す際、戦闘シーンという没入感を誘うような表現を使っていない。いや、正確には『人』を倒すのに、戦闘シーンを用いている。ラゴウと共犯していたバルボスを追い詰めたシーンでは、戦闘が行われバルボスを撃破している。また、強力な軍事力で世界を支配しようとしていたアレクセイも、戦闘が行われ撃破している。では、イベントシーンのみの時と、戦闘シーンを挟む時の決定的な違いは何であろうか。それは、主人公たちが負わせた傷が原因で『人』が死亡するかどうかである。『人』を倒すときに戦闘シーンを挟むモノは、主人公たちと戦うが、その傷が原因で死亡するわけではない。上記に例として上げたバルボスとアレクセイも戦闘とは別の原因で命を落としている。バルボスは主人公たちに負けるぐらいなら…と自害し、アレクセイは巨大な魔導器が落下してきて命を落としている。一方で『人』を倒すときにイベントシーンのみで進行していくモノは、主人公が切った傷を原因として命を落としている。このイベントシーンのみで進行していくモノは2つしかない。ユーリがラゴウを刺して殺した時とユーリがキュモーレを崖の淵まで追い込み突き落としたときである。この2つは『正義』を描く物語構成にも大きく関係しており、それ故他とは違う描き方がなされている。なぜ、類似した『人』の死を区別して描いているのか。要は、何故没入感を増すような戦闘シーンを挟む方法で『人』の死を描かないのかである。
 『TOV』では主人公の刺した傷や、崖の淵まで追いつめて突き落とすことで『人』の死を描くときに、敢えて没入感を阻害しているのである。インタラクティブな要素(戦闘シーン)で表現するのではなく、非インタラクティブな要素(イベントシーン)で『人』の殺害シーンを描いたのには、敢えて没入感を阻害し、現実に立ち返って第3者目線でこのゲームを考えさせるためである。プレイヤーはゲーム内での経験上、『悪』が出てきたら戦闘で撃破していく、という概念がある。その概念を変えることで、プレイヤーに違和感を与え、没入感を阻害する。そうすることで、ラゴウたちの命を落としたユーリは正義なのであろうか、正義とは一体何であろうか、ということを振り替えさせる。この没入感を阻害するイベントシーンでの表現方法が他のゲームとは一線を画し、『TOV』の正義を考えさせる最大の要素である。


 それでは、次に物語構成から正義の描き方について説明していく。その前に、今まで『正義』とい言葉を多用してきたが、『TOV』において『正義』とはどのような意味を含んでいるのであろうか。一般に正義とは「①正しいみちすじ。人がふみ行うべき正しい道。②社会全体の幸福を保障する秩序を維持すること。近代では社会の成員の自由と平等が正義の観念の中心となり、自由主義的民主主義は各人の法的な平等を実現した。」(「広辞苑 第五版」より引用)という意味を持っている。一方で『TOV』の物語中において『正義』とは、貫通目標を達成するための行為のことである。この貫通目標が“位の高くない人でも幸せに暮らせる世界”であり、ユーリとフレン2人の信念でもある。言い換えれば、『TOV』において正義とは、“位の高くない人でも幸せに暮らせる世界”を達成することである。また“位の高くない人でも幸せに暮らせる世界”とは、一般的な正義の意味である「社会全体の幸福を保障する秩序を維持すること。近代では社会の成員の自由と平等が正義の観念の中心となり、自由主義的民主主義は各人の法的な平等を実現した。」(「広辞苑 第五版」より引用)も『TOV』の意味合いの中に含まれている。 
 『TOV』の理念としての正義を念頭に置き、実際の物語構成において、どのように『TOV』の正義が描かれるかを説明していく。『TOV』では2人の立場から正義が描かれている。帝都の下町で暮らしながら情を信念に正義を貫くユーリと、帝国騎士団に所属し法や規律を信念に正義を貫くフレンの2人である。彼らはラゴウを追い詰め捕えた際、フレンは彼の信念である法や規律によって正義を貫こうとした。具体的には、ラゴウを殺してしまうのではなく、裁判(法、規律)によって罪を与えることにした。しかし、権力もあり貴族出身のラゴウは裁判において、軽微な罪にしか問われなかった。そのような帝国の腐敗な状態に見切りをつけたユーリは、ユーリの信念に基づいて正義を達成するため、ラゴウを殺害する。類似したケースが物語の第2部でも出てくる。ラゴウと同様に帝国騎士団の隊長であるキュモーレも、自分の支配下にある住民を使って過酷な労働をさせていた。それを見たユーリは、自分の正義を貫き通すために行動に移した。ユーリはキュモーレ隊が駐屯している施設に忍びこみキュモーレを崖の淵まで追い込み、突き落としたのだ。キュモーレが死んだことによって、キュモーレが支配していた街の人々は過酷な労働から解放され、歌い踊れのお祭り状態になっていた。しかしこのときに、フレンはユーリに対して、ユーリのしたことは罪であり、人が人を裁いてしまえば秩序は乱れて、同じことの繰り返しになってしまうと訴えた。ユーリ、フレン共に共通する正義“位の高くない人でも幸せに暮らせる世界”を全体からみれば小規模な話かもしれないが、一つの街で達成したのだ。しかし、その幸せの裏には、自分の理想とする幸せのためなら人の命さえも排除する残酷さも含まれている。また、ユーリの貫く正義をまたキュモーレのような人物が現れた際に達成しようとするとユーリは再び人を殺さなければならない。そう、ユーリの考える正義はユーリの犯す罪、人を殺すことで達成されていることもフレンは提示している。
 上記2つの事例より、同じ目標を目指して、同じ『悪』に対して抵抗しているユーリとフレンだが、その正義の貫き方の違いによって、ユーリとフレンでの対立が起こってしまう。要は2つの立場から同じ『悪』に対して異なった考え方で対抗するとき、利害が一致していても2つの立場が対立してしまうのである。『TOV』では同じ『悪』に対して異なった考え方で対抗する関係を描くことで、互いの正義を違った立場から検証し、対立関係におくことで、『TOV』における正義についてより一層深く考えるように物語の構成が練られている。


 最後に世界観について述べていく。前提として、ゲームにおいて世界とは、全て人間が創造したモノである。緻密に計算して作られており、そこに偶然や奇跡はない。『TOV』でも、緻密に正義を描くのに適した世界が創造されている。『TOV』はテルカ=リュミレースという世界を舞台に物語が進行していく。この世界では、帝国による一国統治が行われているが、帝国の支配を逃れ自由を求め、ギルドという商業組織に属し、帝国と対立する人々も存在する。帝国もギルドも特定の神を拝める表現はないが、ゲームのところどころで神殿をモチーフにしたダンジョンが登場するため、自然崇拝を行っていたことが垣間見られる。帝国は政治を行う評議会と、治安の維持を守る騎士団の2大勢力から成り立っており、それを統括しているのが皇帝である。しかし、現在皇帝の座が空席となっており、エステリーゼとヨーデルの2名が次期皇帝候補として両立している。元々家柄を重視する評議会が皇帝空位の間、実質の最高決定機関として政治を行ってきたが、騎士団が独自にヨーデルを次期皇帝候補として打ち出したことによって、両者の対立が起こる。以上がTOVの大まかな世界観であり、正義を描くのに適した環境である。それではどこが正義を描くのに適している世界観なのであろうか。キーワードは『皇帝空位』と『自然崇拝』である。
 皇帝とは、国の最高決定権を持つことにより、人々の生活を決め、人の歩む道筋を作る。皇帝がこうと言えば、それが国の法となり、人々の生きる指針になる。また宗教も同様である。各自が信じる宗派の神、もしくは崇拝物が示す生き方、あるべき道筋を人々はたどることになる。要は、皇帝や宗教が大きな力を持つ世界では、皇帝もしくは神が絶対的力をもち、物事の基準を作る。人々は皇帝や神の基準に合わせて生活を送るため、基準=皇帝、神となるのだ。上記でも述べたが正義とは「①正しいみちすじ。人がふみ行うべき正しい道。②社会全体の幸福を保障する秩序を維持すること。近代では社会の成員の自由と平等が正義の観念の中心となり、自由主義的民主主義は各人の法的な平等を実現した。」(「広辞苑 第五版」より引用)のことであり、世界観に関しては①の定義の正義が論点となってくる。そして、正義の定義の①が先ほど述べた皇帝や神が生きる指針を与えるということに類似するのではないだろうか。皇帝や神は人が歩んでいく指針を打ちたて、人々は生活を送る。人々にとって、皇帝や神の与えられた道を歩むことが正義であるのだ。そう、皇帝、神が生活の基準となることで、正義の基準、善悪の判断の材料にもなりえるのだ。そこでTOVでした世界観は『皇帝空位』『自然崇拝』なのである。世界に正義の基準を設けないことによって、人々は各自で正義とは何か、帝国に守られた平和な暮らしか、もしくはギルドに所属し自由に生きることか、を考えなければいけないようにした。
 この事例と間逆なのが、同じTales ofシリーズの『Tales of Destiny2』(以下、『TOD2』と略す)である。『TOD2』の世界にはアタモニシ神団と呼ばれる宗教団体が存在し、人々は“ゆりかごから墓場まで”アタモニ神団の恩恵を受けて暮らすである。子供が生まれれば、アタモニ神団に名前をつけてもらい、死ぬときにはアタモニ神団で葬式を行う。熱心な信者は一定の年齢に育つまではアタモニ神団の教会で暮らさせるなど宗教と生活がかなり近い世界観となっている。アタモニ神団を信じていない人々もいるが、世界の大多数はアタモニ神団の信者であるため、アタモニ神団に歯向かう=悪い存在となるのである。人々はアタモニ神団が示すように生きる道を歩み、アタモニ神団=生活の基準、善悪の基準、ひいては正義の基準となるのである。『TOD2』の事例のように世界観に宗教が根強く繁栄されていると、宗教が正義の一つの基準となってしまうのである。なので、『TOV』では特定の根付いた信仰は設けず、世界観を構成した。『TOV』は世界に正義の基準を設けないことによって、正義について各個人が正義の基準を持ち、正義をめぐる複雑な心理描写を可能にした。
 

『TOV』は作品を通して、正義を貫く方法は一つではないことを提示している。ユーリのような罪を犯すという自己犠牲の基に成り立つ正義もあれば、フレンのような長期的に持続させるような正義もある。しかし、『TOV』において一貫して言えることは、正義とは“自分以外の他者の幸福”のために行う行為のことを言う。ユーリもフレンも“自分以外の他者の幸福”のために奮闘し、葛藤し、対立し、正義を貫いた。この『TOV』において一貫して言えることはその他の正義でも同様のことが言える。一番初めに提示した、正義の味方や正しい者は“自分以外の他者の幸福”を中心として行動している。また、警察が犯人を追いつめるなど、“自分以外の他者の幸福”のために行動しているわけではないが、結果として、他者の幸福を奪う者を捕まえるわけだから、同時に“自分以外の他者の幸福”を満たしていることになる。『Tales of Vesperia』は“自分以外の他者の幸福”という正義の前提を提示し、『正義』を考えさせる表現方法、物語構成、正義を描くための世界観の設定という3つの特徴的な描き方によって、『正義』とは何かを問いかけ、正義を貫く方法は一つではないことを提示した作品である。
 戦闘シーンとイベントシーンの使い分けることによって『正義』を考えさせる表現方法を確立し、同じ『悪』に対する異なった立場からの抵抗より、正義についてより考えさせる新たな物語構成を提示した。また皇帝と神のいない世界観は、各個人に正義に対する考え方がないといけない世界を作り出し、『正義』を描きやすい土台を作った。以上の3つが『Tales of Vesperia』における正義の描き方である。

注1)Talas ofシリーズは1995年にスーパーファミコンから発売されたTalas of Phantasiaを皮切りに、エターニア、デスティニ―など計13作品、派生作品も含めると23作品も生み出しているビッグタイトルである。

注2)世界に存在する万物を構成するエネルギーの源「エアル」を動力源とした古代技術のこと。魔物から人々を守る結界を作り出す役目や、光を灯す役目など、生活にはなくてならないものとして浸透しているが、技術の解明が進んでいないため帝国がそれらを全て統括・管理している。



以上7000字の論文をそのまま添付www

(文責:渡辺)
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