無理をしない、自重もしない
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学内SNSのトピックで議論しようとしても、誰からもレスがなくてまったく機能しないんですけお・・けお・・・
ひとりぼっちさみしいお~~~~~~~!!!!!!!!
というわけで何故かblogの存在に気づいてみました
まず、映画が数十年前に芸術認定されてから、新しく芸術とか言われてるものはないらしいです(情報源適当)。
1.
映画は「複合芸術」と呼ばれ、音楽、演劇、写真、小説など、あらゆる媒体を巻き込んでおります。
【でも今はゲームの方が複合してんじゃん!】
という方向です。
(また、ニコ動やPixivといったシステムそのものがアートとかいう方もいらっしゃいます)
2.
でも映画が芸術認定された一番の理由は、おそらく「時間性」によるものだと思います。
「カット割りも物語も、カメラも演技も画面もみんな時間のためなんだー」みたいなことを押井さんも言ってました。
そこで、
【ゲームは時間や環境を批評的に(プレイヤーが自由に)操作、改変できる点でなんかすごい!】
という方向です。
「塊魂は批評的なゲーム」みたいなことをたぶん黒瀬くんも言ってました!
比して原始的なテトリスなんかもそうで、1分前のプレイヤーの行動によって1分後の世界が変わる感じです。
このアプローチは、個人的に「なんかキテるなー」とか思ってます。
3.
ちなみに「ゲーム性」はじゃんけんどころか日々の生活すべてに見られるもので、べつにすごい気はしません。単なる快楽装置としてのゲームは、商業作品か、おもちゃくらいの話でしょう(キリッ
ただ、その
【「ゲーム性そのもの」(間違ってもストーリーやグラフィックではない)に意味を持たせた場合、そこにゲーム特有の価値を見いだすことができる!】
という方向です。
こんなかんじです!
どう思われますかみなさま・・
というか最近話したりして思ったのですけど、
映像学部のゲーム系教授陣は、(安倍先生は不明だけれど)例外なく商業よりも芸術としてのゲームの側面を重視してる気がするのですよね(笑)
それもどうなのです・・?
ひとりぼっちさみしいお~~~~~~~!!!!!!!!
というわけで何故かblogの存在に気づいてみました
まず、映画が数十年前に芸術認定されてから、新しく芸術とか言われてるものはないらしいです(情報源適当)。
1.
映画は「複合芸術」と呼ばれ、音楽、演劇、写真、小説など、あらゆる媒体を巻き込んでおります。
【でも今はゲームの方が複合してんじゃん!】
という方向です。
(また、ニコ動やPixivといったシステムそのものがアートとかいう方もいらっしゃいます)
2.
でも映画が芸術認定された一番の理由は、おそらく「時間性」によるものだと思います。
「カット割りも物語も、カメラも演技も画面もみんな時間のためなんだー」みたいなことを押井さんも言ってました。
そこで、
【ゲームは時間や環境を批評的に(プレイヤーが自由に)操作、改変できる点でなんかすごい!】
という方向です。
「塊魂は批評的なゲーム」みたいなことをたぶん黒瀬くんも言ってました!
比して原始的なテトリスなんかもそうで、1分前のプレイヤーの行動によって1分後の世界が変わる感じです。
このアプローチは、個人的に「なんかキテるなー」とか思ってます。
3.
ちなみに「ゲーム性」はじゃんけんどころか日々の生活すべてに見られるもので、べつにすごい気はしません。単なる快楽装置としてのゲームは、商業作品か、おもちゃくらいの話でしょう(キリッ
ただ、その
【「ゲーム性そのもの」(間違ってもストーリーやグラフィックではない)に意味を持たせた場合、そこにゲーム特有の価値を見いだすことができる!】
という方向です。
こんなかんじです!
どう思われますかみなさま・・
というか最近話したりして思ったのですけど、
映像学部のゲーム系教授陣は、(安倍先生は不明だけれど)例外なく商業よりも芸術としてのゲームの側面を重視してる気がするのですよね(笑)
それもどうなのです・・?
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Comment
はじめまして。
はじめまして。
ゲーム業界のものです。
※開発者ではありませんが・・・
偶然ブログを見つけ、楽しく拝見させていただきました。
アメリカでは、すでにゲームは芸術として認知されているようです。
映画を消費するようにゲームをプレイする、という意識を持っているとのこと。
これは、職業としてのゲーム開発者の人気度なども合わせて考えると、
アメリカと日本は大きな違いがあると言えるかと思います。
また、ゲームをゲーム足らしめるものは、
やはりおっしゃっているようにインタラクションだと思います。
それがあれば、ゲーム性が持つ意味は何でもいいのかもしれません。
時代のニーズやコンピューターサイエンスの進化により移ろうものという感じでしょうか。
ブランド論と通じるものがありますね。
という個人的な考えを長々と記させていただきました。
また寄らせていただきますね。
失礼しました。
ゲーム業界のものです。
※開発者ではありませんが・・・
偶然ブログを見つけ、楽しく拝見させていただきました。
アメリカでは、すでにゲームは芸術として認知されているようです。
映画を消費するようにゲームをプレイする、という意識を持っているとのこと。
これは、職業としてのゲーム開発者の人気度なども合わせて考えると、
アメリカと日本は大きな違いがあると言えるかと思います。
また、ゲームをゲーム足らしめるものは、
やはりおっしゃっているようにインタラクションだと思います。
それがあれば、ゲーム性が持つ意味は何でもいいのかもしれません。
時代のニーズやコンピューターサイエンスの進化により移ろうものという感じでしょうか。
ブランド論と通じるものがありますね。
という個人的な考えを長々と記させていただきました。
また寄らせていただきますね。
失礼しました。