無理をしない、自重もしない
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ゲームニクスや格ゲーをちょっとかじった辺りから、ずうっとおもっていることがあるのだ。
というのも、一般大衆(ぼくも含め)は特に格ゲーやSTG、音ゲー、FPS、SLGあたりの面白さを、知らぬ内に投げ捨てている気がしてならない。
ゲームの中身はすばらしいのに、その見せ方が悪いために、プレイヤーはそのすばらしさに気づく前にゲームをやめてしまうわけである(結果としてゲームが悪いということになってしまうわけだが)。
ぼくが格ゲーを好きなのは、勧めてくれた友達が色々とおしえてくれたからだ。
そして攻略サイトや上手い人のプレイ、動画から学んだからだ。
間違ってもゲームプレイ中に自然と学んだわけではない!
今回は悪い見せ方とか、その辺のことをちょっと語ってみるよ。
まあその……これはフロー理論というか、ゲームニクスにおける段階的学習効果というか、普通のシナリオ創作における構造原理であるとか、何かそーいったものに関連づけできそうなかんじであるワケだけども。
とりあえず、具体的にゲームの話でいこう!
できるだけ!
自明のことであるけれど、作り手はゲームの「ルール」をプレイヤーに理解させるために、段階的な学習をさせる必要がある。
それはチュートリアルだとか、説明書から始まったりする。
では、ドラゴンクエスト1を例に挙げよう。
まず城の中で宝箱の開け方、階段の降り方などを学ぶ。
城下町に下りると、「ここは~~~の町だよ」「武器は装備しないと意味がないよ」などと、リアリティを考えると正直まったく意味のわからないことを町人がペラペラとしゃべる。
後半になるにしたがって、強力な武器や魔法を覚えてゆく。
そんなこんなでプレイヤーは操作方法やアイテム、魔法の種類なんかを色々と覚えていくわけである。
また通常、真っ当なルールは複雑化すればするほど面白いものだ。
つまり、
インベーダーゲーム<ゼビウス<スターフォース<サマーカーニバル烈火<東方
ストリートファイター<ギルティギアイグゼクス
ドラクエ1<ドラクエ2<ドラクエ3
といったかんじで、ゲームはこれまで複雑化をすすめてきた。
そして最近は、より複雑化したルールを冒頭のチュートリアルですべてプレイヤーに叩き込むことで、最高につまらない駄ゲーが量産されていたりする。
この点で言うと、ネトゲにはクソが多い? たぶん。
基本、自由に世界を歩けるから、段階的な説明がしにくいのだろうか。しかしもうすこし考えてもよかないですか。
まあ、まあ。
そうでなくても、作り手はプレイヤーの意識を介入させないよう段階的学習をさせなければならない。
さて、以上のことを踏まえた上で、格ゲーを例を挙げよう! さらに言うと、コンボゲーで。
ここに断言する。コンボゲーはおもしろい。
ただし!
ルールの教え方が完全に間違っている!
キャラのコマンド表が提示されており、「あっ、技が出た~」なんてものだけでは、現代人の磨かれた感性を満足させることはできない。
具体的に言うと、チュートリアルを望むプレイヤーと、そうでないプレイヤーとでまず分割する。前者にはプレイの最中にさりげなくチュートリアルを組み込んでおく。
例えば包括的に「練習モード」なるものを作って、参考書や学術書のように機能させるとか。
すくなくとも、コンボのレシピ程度はプレイ中に案内するべきである。
画面内に表示させておいて、それが成功したら「やったね!」って言ってくれるとか。
失敗したら「1回目のジャンプキャンセルは、もうちょっと早くレバーを↑に入れとくといいよ~」とか、「今のはB>Cが、B>B>Cになってたね! Cの連打を始めるタイミングは、もうすこし早く~」って言ってくれるとか(表現が低俗なのはご勘弁)。
その後は……
起き攻めのやり方、ガードの仕方、下段技と中段技の分け方、技や打撃の詳しい効果や使い所などを誘導する(ここまでやる必要があるとおもう)。
それはまるで、数1の教科書から数3の教科書へと移るように。
そこから先のキャラ対策や駆け引きなんかは、もう要らないとおもうけれど。
代数学やらなんやらのややこしい学術書は、学びたい人だけが書店に行って探せばいい。
概念をまとめると、
ゲームをたのしむために最低限必要な技術は、そのゲームプレイ内ですべて誘導しなければならない。
ということだ。
ここで、「ゲームをたのしむために最低限必要な技術」を明確にする必要があるとおもわれる。
また、学校教育においてこれは主に教員の役目となるわけだが、ゲームでも「こんな技術を使ってこーゆう風に戦えるようになると、対人戦がこーなって最高におもしろいよ!」といった目的の提示も必ず必要である。
それはきっと映像で見せるといいよね。
余談だが、数学は「パズル感覚でおもしろい」だけではない。
「あ~ここでこの公式を使わせて、ここで3つの単元を同時に重ねて応用できるかを試しているな? フハハハハ!」と問題作成者の意図を読み解くところに、大きなカタルシスがある。
当然、思索するという哲学的なおもしろさもある。
こーいったことも教えた方が、数学がたのしくなるよね!
しかも「パズル感覚で~」は小学生に。「哲学~」は中学生、「問題作成者の意図を~」は高校生にと、段階的に提示できるといいんじゃないかなあとおもう。
ぼくらがプレイヤーの立場に立ったとき、これら大変なゲームは、開始前に攻略Wikiなどをしっかり読んだり、上手い人のプレイを見てから(がんばって)プレイすることで、よりたのしみやすくなるだろう。
そういったストレスに耐えなくてはならないのが、現状なのだよ。
ザクとはちがうのだよ……
そして、とりあえずゲーセンに行ってみるといいかもしれない
きっとほとんどたのしめない
というのも、最低限のルールさえ明示されていないからである
あなたの友人がルールを提供してくれるというのなら、べつだが
文責 い之字
というのも、一般大衆(ぼくも含め)は特に格ゲーやSTG、音ゲー、FPS、SLGあたりの面白さを、知らぬ内に投げ捨てている気がしてならない。
ゲームの中身はすばらしいのに、その見せ方が悪いために、プレイヤーはそのすばらしさに気づく前にゲームをやめてしまうわけである(結果としてゲームが悪いということになってしまうわけだが)。
ぼくが格ゲーを好きなのは、勧めてくれた友達が色々とおしえてくれたからだ。
そして攻略サイトや上手い人のプレイ、動画から学んだからだ。
間違ってもゲームプレイ中に自然と学んだわけではない!
今回は悪い見せ方とか、その辺のことをちょっと語ってみるよ。
まあその……これはフロー理論というか、ゲームニクスにおける段階的学習効果というか、普通のシナリオ創作における構造原理であるとか、何かそーいったものに関連づけできそうなかんじであるワケだけども。
とりあえず、具体的にゲームの話でいこう!
できるだけ!
自明のことであるけれど、作り手はゲームの「ルール」をプレイヤーに理解させるために、段階的な学習をさせる必要がある。
それはチュートリアルだとか、説明書から始まったりする。
では、ドラゴンクエスト1を例に挙げよう。
まず城の中で宝箱の開け方、階段の降り方などを学ぶ。
城下町に下りると、「ここは~~~の町だよ」「武器は装備しないと意味がないよ」などと、リアリティを考えると正直まったく意味のわからないことを町人がペラペラとしゃべる。
後半になるにしたがって、強力な武器や魔法を覚えてゆく。
そんなこんなでプレイヤーは操作方法やアイテム、魔法の種類なんかを色々と覚えていくわけである。
また通常、真っ当なルールは複雑化すればするほど面白いものだ。
つまり、
インベーダーゲーム<ゼビウス<スターフォース<サマーカーニバル烈火<東方
ストリートファイター<ギルティギアイグゼクス
ドラクエ1<ドラクエ2<ドラクエ3
といったかんじで、ゲームはこれまで複雑化をすすめてきた。
そして最近は、より複雑化したルールを冒頭のチュートリアルですべてプレイヤーに叩き込むことで、最高につまらない駄ゲーが量産されていたりする。
この点で言うと、ネトゲにはクソが多い? たぶん。
基本、自由に世界を歩けるから、段階的な説明がしにくいのだろうか。しかしもうすこし考えてもよかないですか。
まあ、まあ。
そうでなくても、作り手はプレイヤーの意識を介入させないよう段階的学習をさせなければならない。
さて、以上のことを踏まえた上で、格ゲーを例を挙げよう! さらに言うと、コンボゲーで。
ここに断言する。コンボゲーはおもしろい。
ただし!
ルールの教え方が完全に間違っている!
キャラのコマンド表が提示されており、「あっ、技が出た~」なんてものだけでは、現代人の磨かれた感性を満足させることはできない。
具体的に言うと、チュートリアルを望むプレイヤーと、そうでないプレイヤーとでまず分割する。前者にはプレイの最中にさりげなくチュートリアルを組み込んでおく。
例えば包括的に「練習モード」なるものを作って、参考書や学術書のように機能させるとか。
すくなくとも、コンボのレシピ程度はプレイ中に案内するべきである。
画面内に表示させておいて、それが成功したら「やったね!」って言ってくれるとか。
失敗したら「1回目のジャンプキャンセルは、もうちょっと早くレバーを↑に入れとくといいよ~」とか、「今のはB>Cが、B>B>Cになってたね! Cの連打を始めるタイミングは、もうすこし早く~」って言ってくれるとか(表現が低俗なのはご勘弁)。
その後は……
起き攻めのやり方、ガードの仕方、下段技と中段技の分け方、技や打撃の詳しい効果や使い所などを誘導する(ここまでやる必要があるとおもう)。
それはまるで、数1の教科書から数3の教科書へと移るように。
そこから先のキャラ対策や駆け引きなんかは、もう要らないとおもうけれど。
代数学やらなんやらのややこしい学術書は、学びたい人だけが書店に行って探せばいい。
概念をまとめると、
ゲームをたのしむために最低限必要な技術は、そのゲームプレイ内ですべて誘導しなければならない。
ということだ。
ここで、「ゲームをたのしむために最低限必要な技術」を明確にする必要があるとおもわれる。
また、学校教育においてこれは主に教員の役目となるわけだが、ゲームでも「こんな技術を使ってこーゆう風に戦えるようになると、対人戦がこーなって最高におもしろいよ!」といった目的の提示も必ず必要である。
それはきっと映像で見せるといいよね。
余談だが、数学は「パズル感覚でおもしろい」だけではない。
「あ~ここでこの公式を使わせて、ここで3つの単元を同時に重ねて応用できるかを試しているな? フハハハハ!」と問題作成者の意図を読み解くところに、大きなカタルシスがある。
当然、思索するという哲学的なおもしろさもある。
こーいったことも教えた方が、数学がたのしくなるよね!
しかも「パズル感覚で~」は小学生に。「哲学~」は中学生、「問題作成者の意図を~」は高校生にと、段階的に提示できるといいんじゃないかなあとおもう。
ぼくらがプレイヤーの立場に立ったとき、これら大変なゲームは、開始前に攻略Wikiなどをしっかり読んだり、上手い人のプレイを見てから(がんばって)プレイすることで、よりたのしみやすくなるだろう。
そういったストレスに耐えなくてはならないのが、現状なのだよ。
ザクとはちがうのだよ……
そして、とりあえずゲーセンに行ってみるといいかもしれない
きっとほとんどたのしめない
というのも、最低限のルールさえ明示されていないからである
あなたの友人がルールを提供してくれるというのなら、べつだが
文責 い之字
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