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(以下、レポート用に書いたものを転載)
末莉好きだあああああああああああ
かわいいよおおおおお末莉かわいいよおおおおおおぉぉぉぉぉ
18禁ハートフルコメディーアドベンチャーゲーム
『家族計画』(2001/11/2 D.O.)を精神分析で読み解く
さて、このエロゲーには【川原末莉】という、外見上明らかに小学生程度のキャラがいる。彼女は幼少のころ両親を亡くし、引き取られた親戚の家では性的なものを含む嫌がらせを受ける。やがて逃げるように家出をし、ダンボールハウスの達人ホームレス少女となる。それが【高屋敷末莉】として四女を演じることとなるのである。
そんな末莉に対する一般的な見方、および彼女の設定として挙げられるのは、「すぐ転ぶドジっ子」「いらん子」「親切な良い子を越えて度が過ぎた献身と自虐ぶりを見せる」「萎縮した卑屈な態度ばかりを取る」「叩かれても叩かれても笑顔な性格」「誰にも愛してもらえなかった為、人の役に立たなければ誰も好意を与えてくれないと思っている」「ロリコンに目覚める」といった次第である。
末莉は悲惨な過去を感じさせない明るさと、底なしの行動力でたくましく生きている。そしておもうのだ。末莉は自分というものを確立してゆく上で、後に述べるような、ある種突き抜けた生き方を選んでしまったという、これもある種の失敗があるのではないか。またそれらは、彼女自身のヒューマン失格ばりに強力な自己愛と自己陶酔に基づいているのではないか。そうかんがえた。
シーン1。高屋敷家の長女役演じる【高屋敷青葉】が生きる上ですがっている祖父の形見――すなわち高屋敷の家屋そのもの。その柱に対し、末莉が料理のスープを溢して汚してしまう一幕である。ここで一つ挙げておくべき前提として、その事件が発生する前、末莉は青葉にたいして「青葉おねーさんっ♪」と呼びかけてしまうことで大目玉を食ったという事実がある(ちなみに青葉と主人公の2人は、すくなくともこの高屋敷においては、家族としての責任や繋がりに否定的である)。柱を汚してしまったときの末莉の心理としては、家族にように自分を愛し、叱って欲しいという願望、自分を否定した青葉に対して仕返しをしてやりたいといった気持ち、嫌われたくない捨てられたくないといった恐怖などが、通常考えられる。末莉はとても可愛くて賢しい子なので、自分というものをかなり理解し、この辺りを自覚した上での行動なのではないかと私は推察する。さて、より深く追求していこう。これが「青葉を傷つけたい。でも実際にやってはならない」といった葛藤による錯誤行為であるというのは無論だ。加えて、ここで末莉は「自分はこれで絶対に正しいんだ」といった自己暗示の効果をも期待しているのではないかと考えた。つまり、自分と同様家族環境に恵まれなかった青葉や主人公がひどく世間擦れしている姿に、自分の隠している負の面や、見たくない部分を重ねてしまっているのだ。それを覆い隠すようにして歪んだ明るさを装い、曖昧な攻撃をする。また、なにか失敗を起こした際の彼女の反応というものは、とにかく謝っとけという立場に近い。これは一種の「キレた」状態である。「私は無価値な疫病神ですーっ! 吊るしか、吊るしかないんですーっ!」などと言っては、人の話をほとほと無視してしまうのだ。自分を愛し、享受し、強く肯定しなければならないが故に、彼女は幾度もそういったミスをくりかえし、その度に周りからフォローされつつ、しかし意見を変えないのである。たとえば「愛されたい」だけでは、賢い末莉にとってこれは説明のつかない行動なのだ。そうであれば、もっと効率的な手段を取ればよい。過度な献身の所為で、少なくとも青葉と主人公には嫌悪感を抱かれてしまうのだから。そして一方、別な場面でも悩んでいるように演じてみせているけれど、実のところ末莉自身は、理想自我そのものと設定している自分をどう周囲に納得させるか、どう認めさせるかという簡単なかんがえに基づいて行動しているフシがあるようにおもう。この場合そこに葛藤、およびコンプレックスはない。逆から辿ると、複合した感情を自分からアピールしている時点で、その感情は意識下に抑圧して存在しているワケではないのだから。ゆえに彼女の無意識として注目すべきは、たとえば「演じている自分を倒して欲しい」といった方向の、甘えなのかも知れない。
シーン2。柱を汚してしまった後、雨の降る外に飛び出し、空き地の土管へと逃げ込む場面である。この行為において末莉は、主人公らがホームレス生活を送る際に利用した共通の場所――空き地へと逃げ込むことで、みんなから発見してもらおうという意図を見せている。
シーン3。末莉が誤って青葉に熱いお茶をぶっかけてしまうのだ。なんとわかりやすい攻撃、錯誤行為か。そのおかげで青葉は軽度の火傷を負ってしまうのだが、しかもここでまた、末莉は走って逃げ出してしまうのである。火傷の心配をするでもなく、ちゃんと謝るでもなく、何にも優先して逃走を選択するのだ、この娘。そうして主人公サイドは「末莉を心配する」「青葉を心配する」という二択を迫られる事になる。末莉と青葉の、どちらがより必要とされているか。愛されているか。上位にいるか。それを周囲にいる人間の客観的(社会的)な立場から確たるものにしてもらいたい。その試したいという気持ち、どちらが上かという気持ちを消化するために、敢えて青葉から物理的な距離を置いたのだ。
シーン4。ファンディスク『家族計画~そしてまた家族計画を~』より、脇役ヒロインが末莉、および主人公と同衾をしようという場面である。ちなみに、このファンディスクは末莉ルート(主人公と末莉が結ばれた世界)のアフターストーリーとなっている。その場面において末莉は、床の上で普段と若干異なる態度を取り、というか淫乱になり、主人公とその脇役からイニシアチブを奪うのである。また以前から、基本的にはいつも主人公が優位に立って事に及んでいたという事実があり、毎回がそうであることに対して末莉は軽い抵抗を覚えていた。そして何より、そのとき末莉は無意識に嫉妬の感情を押し殺していたのだ。これらはシナリオにおいて明言されている。そういった感情が複合して、攻勢に出るという錯誤行為が現れたのだ。
シーン5。これもファンディスクより、主人公と末莉が橋の下でいちゃいちゃするシーンである。ここの前提として述べる必要があるのは、家族計画本編において、主人公は末莉を救うために片目と片腕の機能を大幅に失っているという事実だ。その日、主人公は片腕が痛むことを隠していた。しかし渡された缶ジュースを取り落としてしまうことから、末莉に腕が痛むことを気づかれてしまう。しばらく経った頃に、一方の末莉は恐縮するでもお礼を言うでも……はたまた感情のおもむくままに振る舞うでもなく、ちょっと考えた。そして何も言わなかった。かわりに、にぱっと笑った。そのときに発した、主人公が金言を聞く思いで耳にした末莉の台詞を抜粋すると、以下の通りである。「前のわたしだったら、恐縮してすまながって、嫌われないか捨てられないか……ただびくびくして」「でもこれからは、与えられたものに、感謝しようと思うのです」(中略)「ただ自分の今に、どれくらいのものが支払われているのか……それだけは、忘れないようにしようと思ってます」「ですから、ずっとそばにいたいと思います」この下りからして、以前の末莉が確かにコンプレックスを持っていたことが判る。それと同時に、彼女が自分のことしか考えていなかったということも。
他にもこの『家族計画』という作品の中には、「全部、許す」という言葉で感動の演出をしたり、人間関係のすべてを金銭における「契約」という形にして逃げ回るキャラがいたり、果ては老衰で死んだ主人公の精神がモノローグを語るなど、精神分析や、また別な解釈を行うに十分足る要素が散りばめられているのだ。というか、むしろそうして構成されている可能性も否定できない。したがって私の述べた解釈は、まったくのご都合主義に過ぎないというワケでも、ないのである。
追記:
クロスチャンネルにおけるミキミキが「です、ます、ございます」であり、自己愛を群青色としていることも、示唆的じゃないかとおもうんだ。
ロミオが意識的にそうしたか、無意識的にそうしたかは定かではないけども。
あと、このレポートではフロイトの錯誤行為云々のことが主に求められていたという事があり、したがって、例えばラカンとかの話に関してはほとんど触れていない。たぶんもっと突っ込んで語れる気がするよ
すごいよロミオ
文責 い