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無理をしない、自重もしない
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物語を語る形式は数多くあり、古くは口頭伝承といったものであったのであろうが、ここでは、形式として新しい「ゲーム」における物語の語り方に対する考察を述べたい。  
 
ゲームは物語を語るのには適さないメディアだと唱えられる事も多い。それは、ゲームにおいて「死」を描く困難さ、身体性の欠如が主たる要因となっている。ゲーム内の物語は、基本的にリセット可能なものとして描かれる。ゲームは、行動や選択の誤りによって、失敗、ゲームオーバーとなっても、最初から、またはセーブした地点等からやり直す事が可能なため、「死」という本来リセットできない事象を描くには相性がよくない。また、ドット絵やローポリゴンのモデルなどは主に記号としての属性が強く、感情移入を阻害しかねない点も、リアリティのある死をゲームから乖離させている。  
 
 しかし、上記に触れたゲームというメディアの特性を逆手に取り、物語を展開される作品が存在する。『YU-NO』『マブラヴオルタネイティヴ』などが、それに該当する。両作品ともアドベンチャーゲームのジャンルに分類され、多くの他作品と同様、物語が分岐し、複数の結末が用意されている。ただ、両作品の特色として、通常、主人公が認知できるのは1つの結末だけなのに対し、複数の結末、失敗いわゆる「バッドエンド」を含むそれらを、一貫した流れとして認識する点が挙げられる。  
 
 少し具体的に見ていこう。『マブラヴオルタネイティヴ』及び『マブラヴ』(以下、両者とも『マブラヴ』で統一)は、「エクストラ編」「アンリミテッド編」「オルタネイティヴ編」の三部構成から成り、アンリミテッド、オルタネイティヴ編では、時間軸、基本的な出来事が共通する。オルタネイティヴでは、エキストラ編におけるメインヒロインの、アンリミテッドではエキストラ編におけるサブヒロイン5人分の分岐(ルート)が準備されている。主人公はそれらの分岐を連続したものと捉える。また、アンリミテッド編ではいずれも主人公の死亡によって締め括られるが、オルタネイティヴの段階に至って、その自らの死さえ主人公は認識するようになる。その様子は、画面の前で勇者の死を客観的に眺めるPRGプレイヤーさながらである。  
 
マブラヴの主人公は、自らの死すら身体性を感じられない状況下にあり、アンチテーゼ的にゲーム内の死を描いている。さらに同作品は、作品内のキャラクターの、ひいては自身の死に対し、主人公が身体性を見い出すことで物語が大幅に転換する。つまり、落命してもオルタネイティヴ編開始時の時間軸に退行するだけといった認識を改め、「生」の一回性を自覚する主人公の成長を物語のハイライトとして描いているのである。  
 
 前述したように、メディアの性質上、失われがちな身体的リアリズムを逆説的に利用した物語の展開は、ゲームという表現媒体が固有に持ち得た物語の語り口の1つと捉えられる。しかし、『YU-NO』にしろ『マブラヴ』にせよ、どちらもアドベンチャーゲームであるという点には留意したい。何故なら、アドベンチャーゲームである以上、テキストやアニメ調のグラフィックといった身体性を描き得る表現を多分に含み、純粋にゲームだけとして語りであった一概に断定できないためである。  
 
執筆:副代表フィジー
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